今日はJR線とか東京メトロに乗りました。

東京地方では、JRだとスイカ、それ以外ではパスネット、バスだとバスカードというのが代表的に流通していましたが、このたび「PASMO」に統一されるようで、その準備をいっしょうけんめいしています。

京浜東北線で、車掌さんの背中を見て思ったのは、

  ああ、あなたと運命いっしょっしょ、

ってことです。

みんなして時速60キロとかで走っているって、思えばありえないことですね。人体は電気が流れているから、それが電気で運ばれちゃうと、また電気がへんな色や熱を放出したりしませんか、工学院、どうでしょうか。ピカピカの夕映え、東京の小枝たち。駅員さんとは変形する人間のあつまり。駅員は、そこでは「違う人」として立ち現れる。ときには螺旋階段を優雅に降りながら。ときには「どこから出てきたの?」って場所から。そうだ、乗客の目の前で着替えをして駅員になるということはない。駅員はどこか見えないところで必ず魔法のちからをもらい、くびれた腰に似合いの黒いジャケットをきゅっと締めるのだ。そうすると駅員性とでもいうものがにわかに立ちのぼる。駅員の身体はだんだんと鉄に似た硬さに組織化される。でも未熟な駅員はまだまだ揺れゆれ・・・・。激しいカーブの高架線、遠心力で若い駅員さんの身体の一部が飛んできましたよ、きゃっ。

★むかしは、自分が作品作りをしたり詩を書いたりすることがコンプレックスで、親にもそういった行為をけなされていたし(定年後にやりなさいと言われた)、これは恥ずべきことだと思っていました。

でも最近は、作品に関して、いろんな方が励ましてくれた、その優しさをいっぱい受け、こういう作品作りをしてきて良かった、自分は本当に幸福ものだなと思います。

それだけに、どうして作品を作ったりすることについて親はほめてくれないんだろう、やっぱり褒められたいなあ、とも思います。こんな年齢になっても、やっぱりアホみたいですけど、親に褒められたいんですね・・・。わたしは親に褒められる要素のなにもない子供で、たとえばよく電車に傘を置き忘れてしまったりして、そのたびに怒られていました。とくに母はわたしの言動が気に入らないようで、最後はわたしのほうから縁を切ったようになりました。それに比べると姉は優しいところ(というか、妹という別世界の人がいると尊重する認識)もあったように思います。あの姉も、姉じゃなければきっと出会っていなかったひとでしょうね。そんな姉が、世界中にきっと住んでいますね。いろんな人と出会えるって、うれしいことです。明日も世界を信じて、おやすみなさひ。